mimi iguchi
2022年11月11日
工房あるじゃんが生まれたのは1969年、53年前のことだ。
原宿のボロアパートの地下に工房を作り、当時は銀なんて高価すぎて
買うことも出来ず、真鍮、革などをベースにブローチや、ネックレスを作っていた。
親父は当時ヒッピーや、フォークが流行している中で、これは売れるだろうと思うデザインを
沢山作り貯めては、フリーマーケットなどで販売して食いつないでいた。
日本の景気も登りはじめデパートの時代になると、その一角に商品を出すことも出来るようになった。
原宿のバブル期には地上げにあい、やっと見つけた祐天寺の商店街の一角。
周りは八百屋、肉屋、魚屋、、、スーパーマーケットなんて合理的な建物などなく、買い物かごを下げて買い物をしている主婦ばかりのエリア。
男にアクセサリーを売る店なんてすぐに潰れるだろうと噂された。親父ももうだめかと思ったとき、
アメカジブームが生まれた。男達はデニム、革ジャン、アクセサリーに視野を広げ、こぞってかっこよさを競った。
ハーレーもじわじわと大衆化していき、六本木や原宿にはバブル期にBigマネーをつかんでいた人たちはグループを作っては横行闊歩していた。その熱い景気の中、親父は念願のハーレーを手にする。
インターネットのない時代は雑誌が唯一の情報源だ。
親父はまだハーレーのカスタムショップなどどこにあるのか、誰が腕がいいのか、センスはどこがいいのか。
全て人伝いに情報を集め、バイク屋に持って行き自分のハーレーをどうにか見せれる、走れるものに仕立てていく。足りない部品は全て手作りだ。
その熱はバイク乗り達のシグナルとなり、寄せ集まってくる。
そんな時にふわっとミーティングキャンプは始まるのである。
熱のあるもの同士のスキルが合わさったとき、バイブスキャンプは始まったのだ。
バイクの良さ、旅の醍醐味、人との絡み、仕事とは違う充実。
そんな今で言えばリア充の詰まったバイブルがバイブスだったのではないかと。
そんな親父の充実した生活を娘の私は周りに集まっていた人の熱量で感じていた。
やがてリーマンショック後の殺風景な世の中を経て、子育てと仕事に専念していた私はそんな時代はとっくに忘れてしまっていた。時代もかなりアップテンポで合理的でビジネスライクの時代に辟易していた頃、YouTuberのミショメンと出会ったのだ。
彼はこの時代と逆行していた。便利なんてくそ食らえ。何でもスマートにやって何が楽しいの?
こんなワードが飛べば、麻痺していた心のどこかにやけに刺さってくる。
年間にミッションを100自分で決め遂行するために、家を捨て、家族も捨て、日本一周を何回もしてしまう。山に登る
、自給自足をする。旅の資金は自分で作るグッズ販売の売り上げのみ。
きっと一般常識人には考えも、選択もしないことだろう。何でこんなにスリリングな生き方をするのだろうと。
そんな彼を陰ながら応援してしまう自分、多分私一人だけでは無いと思う。
こんな異常な生き方普通は応援しない。応援する側もバッドエンドを見てしまうのではないかというリスキーな匂いがするからだ。
しかしその匂いは生きたい!自由になりたい!と心の隅に隠しておいた人ならば不思議と化学反応するようにできているのだ。
私も心の隅にどこか人生の物足りなさを感じ、反応してしまったのを感じている。そこが本当に一番悔しいところだ。
その彼が、先日バイブス行きませんか?と誘ってきた。
何十年も忘れていた歴史に色が戻ったような気がした。
親父がバイクを知ったのは42歳。私がバイクを知ったのも42歳。これは何かが動き出している気がした。
ミショメンという男がスマートに生きてないで、人生の遠回りをしようと私に囁いてきたのだ。
バイブスミーティングで親父達の見てきた何かを探しに行こう。
今回はそんな思いが詰まったミーティングとなっている。
夜の10時半、昔を思い出しながら、きっと今日は寝れないだろうと諦めながらタイプする。
mimi