小原治五右衛門『後編』
- mimi iguchi
- 2025年12月25日
- 読了時間: 2分
あの時感じた違和感は、
しばらく私の中に静かに残っていた。
それから数年の時間が流れる中で、
私は私で、
「シルバーアクセサリーとは何なのか」
「作り続けるとはどういうことなのか」を、
否応なく考えさせられる場面に立ち続けていた。
彼ほどの歴史や系譜を背負っているわけではない。
それでも、
生き続けること、
継承していくこと、
そして次の世代へ何を手渡すのかという問いの前では、
立場の違いは不思議なほど意味を持たなくなる。
生まれた環境も、親も、抱えてきた苦しみも、
私たちはまるで対極にいるようで、
それでもどこかで、同じ天秤を手にしている気がした。
欠けているからこそ、
人はバランスを取りながら生きていく。
完璧ではないから、
問いを持ち続け、模索をやめずにいられる。
そんなふうに考えるようになった頃、
彼の今年の作品
『eclipse ― 日食・月食』に触れた。
一子相伝という、
脈々と受け継がれてきた生き方を肯定しながらも、
それをそのままなぞるのではなく、
反面教師として受け止め、
人としてピュアに生きようとする姿勢が、
静かに滲んでいた。
そのときふと、
あるじゃんの唐草や、太陽と月のモチーフも、
同じ場所から生まれているのではないかと感じた。
受け継がれてきた意味があり、
相反するものが共に存在し、
そのどちらかを否定するのではなく、
両方を抱えながら続いていくこと。
城端蒔絵450年という節目に、
太陽と月が導くように点と点がつながり、
城端蒔絵とシルバーアクセサリーというかたちで
交わることになったのは、
偶然というより、必然のように思えた。
あるじゃんのこれからもきっと、
一直線ではなく、
人と人との関係の中で、
揺れたり、湾曲したりしながら決まっていくのだと思う。
彼との出会いで壊された私の「伝統工芸」のイメージは、
葛藤と揺れを抱えた時間の先で、
もう一度彼に出会うことで、
“更新され続けるもの”として、
静かに自分の中に落ち着いた。
彼が長い時間をかけて育ててきた思念と、
それに半ば追いつこうとしながら、ようやく辿り着いた私の思念。
その二つが重なった場所から、
ひとつのアクセサリーが生まれた。
それは私にとって、
これから先も迷わずに進むための、
大きな楔のような存在になった。
そんな感覚とともに、
この出会いに感謝しながら、
2025年を締めくくりたいと思う。



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